【中長編】サムヒア・ノーヒア
狂おしくもうつくしい青春小説
作品名 | サムヒア・ノーヒア |
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作者 | ちょろんぞ/小野崎まち |
文字数 | 約9万4000字 |
所要時間 | 約3時間10分 |
ジャンル | 青春(現代) |
作品リンク | 小説家になろう |
書籍版 | マイナビBOOKS(※公式ページ) |
――もっとちゃんと、生きられますように。
美術教師である沖澄の手元には、彼が描いたものではない一枚の絵がある。『ここではない何処かへ(サムヒア・ノーヒア)』。沖澄の個展の片隅で異様な存在感を放つその絵を描いたのは、かつての彼の幼馴染み――えぐいような化け物じみた絵を描く一方で、どうしようもなく弱くて脆い、生きることが下手な女だった。
高校時代の夏の色が、音が、匂いが、まざまざと蘇るような鮮やかな情景描写と、それが過ぎ去った出来事として語られる構成に、痛みにも似たノスタルジーがこみ上げる。
人とは違って上手く生きることの出来ない少女のくるしみと、すぐ隣でそれを克明に見つめる少年のやりきれなさが、ままならなくて、息苦しくて、痛々しくも凄絶にうつくしい。
同じように育ってきたはずなのに全く違う世界を見ていたふたりの、心を削るような痛切な希求と、かけがえのない痛みの物語。
・絵描きとしては並外れた才能を持っていて、人としてはどうしようもなく弱くて未熟な個体。とてもひとりでは生きていけなさそうな「重度の社会不適合者」。
・自分が描いている絵の中の人物の結末を「まだ分からない」と言う鬼才。絵を描くことで、なにかに、どこかに、辿りつこうとしている。「きっといつか、私は、もっとちゃんと生きられるように、なる」「――絵が、私を救ってくれるはずなんだ」…なるほど分からん。
・「十年以上も腐れ縁でいる俺が分からないんだ、他のやつに分かられてたまるか」絶望的なまでに違う、理解することの出来ない存在。
・たとえ本物の翼を持っていたとしても、結局イカロスの結末はひとつだけ。それでもやっぱり目指す先は月ではなく、太陽でなくてはいけなかったんだな。
・「こいつは昔、自分のように上手く絵を描けず悔しがる俺を見て、勝ち誇ったようにニヤリと不気味な笑みを浮かべたりするような底意地の悪い根暗ガキだった」『うまく』描けないということに対する失望と苛立ちは、相容れるところの少ないふたりにとって数少ない、共有できる感覚だったんではないか。
・「……お、置いて……か、ない、で……よ」見ている世界が違うことに、届かない距離に、理解できないことに、苛立っているのは沖澄くんのほうだと思っていたのにな。「世界にまで目を向けることが出来て、かつそれを美しいものと見ることが出来る沖澄が、羨ましいんだよ。――上木田は」
・上木田零子に近しい人間たちの間に共通してある不吉な予感。「漠然と、あの子の最期は『そう』なのだと、思いこんでいたのかもしれない」ほんの少しの衝撃で簡単に崩れてしまいそうな、脆い足場にいびつなバランスで立っているような、歩く破滅フラグみたいな。
・どうしようもなく切実にもがいて苦しんで、だからこそ上木田零子の絵にはえぐいような凄みがあるのだろうけど、でも自分の中に無いものを絵の中に見つけようとしても、何処にも辿りつきようがないのかもしれない。「置いてかないで」「一人は嫌だ」と泣いた女の子。人とは違う、ひとりぼっちのなにか。「この世界は、そんなにも、お前にとって辛いところなのか……?」
・「正しいことが出来る沖澄には、間違ったことしか出来ない人間の気持ちはきっと分からない」「――世界が間違っていると思えない人間にとっては、いつだって間違っているのは自分だけなんだろうね」
・もがくほどに、足掻くほどに、溺れていくような、崩れていくような。どんどん不穏なものが近づいて来るような気配に心がざわざわする。
・「壊れていく。壊れていく。壊れていく。この手では止めようもなく、次々に壊れていってしまう。」同じ時を過ごして、同じように育ってきたはずなのに、どうしてこんなにも。「……もう、いい」「もう、私は、絵を描かない」
・「死ぬ何日か前に描いたもののようで、それがあいつの最後の、そして唯一現存する作品になった。」それまでの全てを否定して、あれだけ凄絶な筆の折り方をしたのに、その後にもそんな風にひっそりと、祈るような希うような絵を描いていた上木田零子。それは太陽を見失っても飛ぶことをやめられないイカロスの呪いなのか、まだかろうじて彼女に見えているかぼそい蜘蛛の糸なのか。絵の中には確かに描かれている救いの御手が、完成した絵の外から痛烈に否定されているというのが、あまりにも痛々しい。
・「私は、栄くんが、大好きだったよ。嫌いになるぐらい、好き、だった」「俺が好きになったのは、あのままの、あいつだったのだ。憎んでしまいそうになるぐらいに、大好きだったのだ。」お互いに対する感情には近しいものがあったはずなのに、見ている世界が決定的に違ったふたり。ここではない何処かへ行きたかった上木田零子と、上木田零子のいる情景にこそ完璧に美しい世界を見出していた沖澄栄一郎。それでもきっと、喪失が必然だったわけではない。
・苦しみながら絵を描く彼女は美しい。「力強く、そこには他の何物よりも、生が満ち溢れていた。生きている。確かに、こいつは生きていたのだ。」――もしも、「俺がお前を見てる」「お前はちゃんと生きてる」って、もっと早く言えていたら。
・少しずつ、時間に押し流されて鈍くなっていく痛みが切ない。幸福であるという罰を抱いて。